2022.03.22

伊万里焼について|特徴や歴史を解説‼︎

伊万里焼をご存じですか?日本を代表する焼き物の1つなので、名前は聞いたことがあると思います。

でも、名前を知っていても、どのような焼き物なのか詳しいことは知らないという方が多のではないでしょうか。

そこで今回は、伊万里焼について、歴史や様式をご紹介します。

伊万里焼?有田焼?

伊万里焼について調べようとして検索をすると、「伊万里焼と有田焼はどう違うの?」といった記載がよく見られます。どういうことなのでしょうか?

現在は、伊万里市で生産された磁器は「伊万里焼」、有田町で生産された磁器を「有田焼」と区別していますが、明治時代以前ははっきりとしていませんでした。

有田を中心として備前国(現在の佐賀県と長崎県)で生産された磁器の総称を「伊万里焼」と呼んでいたのです。有田焼のほかにも、三川内焼、波佐見焼、鍋島焼、志田焼なども含みます。

なぜこのようなことが起こったのかと言うと、江戸時代に各地で生産された磁器を海外に輸出する港が伊万里だったのです。そのため輸出された先では「伊万里焼」という名称で普及しました。

よく骨董品で耳にする古い伊万里焼という意味の「古伊万里」とは、江戸時代に作られた有田焼を指します。

明治30年(1987年)に門司・有田・佐世保間に九州鉄道が開通すると、焼き物も船より鉄道で運ばれるようになり、それぞれの産地の名前で呼ばれるようになっていきました。

伊万里焼の歴史

伊万里焼の誕生

佐賀藩(鍋島藩)の藩主鍋島直茂(なべしまなおしげ)は豊臣秀吉の命を受けて朝鮮出兵(1592 1598年)に参加し、朝鮮半島から多くの陶工を日本に連れて帰りました。

そして元和21616)年、朝鮮陶工の李参平(日本名は金ヶ江三兵衛)が有田の泉山で磁器の原料となる陶石を発見し、窯を築いて日本最初の磁器を焼きはじめました。

初期の伊万里焼は、朝鮮で生産されていた陶製技術に影響を受け、厚みがあり染付のみで模様が描かれた素朴なものでした。

朝鮮から日本に渡った陶工たちは、李朝様式から中国様式、染付、白磁、青磁といったさまざまな手法を吸収しながら、磁器の製法に磨きをかけていきます。

1637年に焼き物産業を推進する方針を決めた鍋島藩により、窯場は13箇所に整理され、渡来人陶工を中心として本格的な有田焼産業が発達しました。

また、1646年には酒井田柿右衛門(さかいたかきえもん)らが、赤、緑、黄などの絵の具で器に文様を描く赤絵付けに成功し、日本初の色絵磁器が誕生しました。

中国に影響を受け、ヨーロッパに影響を与えた伊万里焼

17世紀後半の磁器の中心は中国の「景徳鎮」でした。良質な陶土と高い技術を持つ職人によって表現された絵付により、その品質は世界的に認められていました。

日本でも数多く輸入されていましたが、1644年に明王朝が滅亡すると状況は一変。清によって商船の航行が禁止され、中国陶磁器の輸出が激減してしまったのです。

中国から品質の高い陶磁器が輸入されなくなると、有田での生産量が大幅に増え、1640年代には国内の磁器市場を独占するようになりました。

日本だけでなく、それまで中国の磁器を輸入していた世界中の国々でも、中国磁器の輸出が激減した影響を受けました。

これを補ったのが伊万里焼です。中国製陶磁器を見本としてヨーロッパ人の好みに合う製品が作られ、オランダの東インド会社によって伊万里焼の海外輸出が本格的に始まりました。

薄くて硬いのに艶やかで美しい伊万里焼は、ヨーロッパで「白い金」と称えられ、憧れの芸術品となりました。

特に、ドイツのザクセン地方のアウグスト強王は、伊万里焼をはじめとする東洋磁器の熱狂的なコレクターで、磁器を手に入れるために自分の兵隊を売り払ったという逸話があるほど。やがて収集するだけでは物足りなくなり、磁器の製造を命じます。こうして完成したヨーロッパ初の磁器が「マイセン」です。

伊万里焼の様式

伊万里焼には、いくつかの様式があります。

作られた年代や特徴などによっていろいろな分け方がありますが、主なものを紹介します。

初期伊万里

1610年代に伊万里焼が誕生してから1630年代頃までに製造された初期の伊万里焼を「初期伊万里」と呼びます。

この頃に制作された磁器は、成形後に素焼きをしない「生掛け」という技法で作られているので、焼く間に歪んだりひびや傷が入るものも多くありました。

また、初期伊万里は「砂目積み」という技法が使われていることも特徴です。これは、砂を挟むことで窯床と製品の熔着を防ぐ目的があり、朝鮮特有の技法です。

一方、朝鮮磁器には文様を入れる習慣ありませんでした。染付の技法は中国の景徳鎮磁器を模倣して、日本磁器独自のスタイルを追求しました。

柿右衛門様式

1640年代に酒井田喜三右衛門(初代柿右衛門)が赤の絵付けに成功し、柿右衛門様式が生まれました。

濁手(にごしで)と呼ばれる乳白色の素地に、日本画のように花や鳥などの景色を左右非対称で描かれていることが大きな特徴です。

上絵の色には赤・黄・緑・青・紫・金などが使われますが、赤系の色が際立っています。また、余白を十分に残しているため、柔らかくあたたかな和の趣を持つ作品が多いです。

明るく繊細で絵画のような構図を特徴とした色絵磁器は、ヨーロッパの王侯貴族たちに向けて輸出用としても作られました。

古伊万里様式

古伊万里様式は、経済的に豊かだった江戸時代の元禄期(16881704年頃)に生産されていました。

一番の特徴は、豪華な文様と色絵の上に施された金彩。金襴手様式とも呼ばれます。

植物や動物、幾何学、唐草模様などさまざまなモチーフが上絵の具を贅沢に使って全面に描き込まれ、さらに金泥や金粉で豪華な模様をあしらった作品が生産されました。

多様な絵柄や装飾が施された豪華絢爛な作風が評判となり、国内外の裕福な人々が収集しました。

鍋島様式

1628年に鍋島藩が将軍家・諸大名などへの献上用高級磁器を製造するために有田の岩谷川内に藩直営の御用窯をつくりました。

古伊万里様式と同じ元禄期に最盛期を迎えました。

最高の技術者を集め最上質の材料を使って、厳格な管理のもとで色絵・染付・青磁など各種の磁器を生産しました。

青みがかった白い素地に計算しつくされた緻密な紋様が描かれ、高台に「櫛高台(くしこうだい)」と呼ばれる縦縞模様を施しているのが特徴です。

特に、呉須(藍色の絵具)で下絵を描き、赤・黄・緑の3色で上絵をつけ、さらに青で染付をした「色鍋島」は、日本磁器の最高峰と言われています。

品質や品格を重視し、採算度外視で生産された鍋島様式の伊万里焼は、芸術品の域に達してします。

まとめ

今回は、伊万里焼についてご紹介しました。

日本で最初の磁器伊万里焼には、その長い歴史も含めて現在でも受け継がれている魅力があるのではないでしょうか。

当社、骨董買取ラボではでは、伊万里焼も高価買取しております。

査定のポイントは、作品本体の傷の有無に加えて、共箱と呼ばれるその作品専用の箱や鑑定書のような付属品がそろっているか、作者の銘の種類や人気が高い柄の作品かどうか、といったことが挙げられます。

とくに、江戸時代に生産された古伊万里は、海外で「オールド・イマリ」と呼ばれとても人気なので、高く評価され買取価格も高くなります。

なかでも初期伊万里は希少価値が高く、素朴な作風で人気が高いため、ほとんどの作品が高額になります。

明治以降の伊万里焼は、大衆的な作品から有名作家の作品まで幅広く存在するので、買取価格は種類によって大きく異なります。

ご自宅で眠っている伊万里焼の陶磁器がありましたら、お気軽にご相談ください。